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入園

早いもので、もう入園。

ちゃんと、しっかり遊んであげれなかった反省と。
やっと、お友達の中で遊んで、娘がスッキリしてくれる?嬉しさと。
束の間の時間、離れてしまう、寂しさと。

でも、去年から週一回の外遊びのできる
森のようちえん に、そのまま入るので
慣れてもいるし、みんな知ってる方だし。

入園式にスーツはいらないし。
気張らず、気晴れて入園式。

ただただ、よかったなあ。

ありがたいなあ。

出会いに感謝だなあ。と、思った1日でした。

はなちゃん、ここに連れてきてくれて、ありがとう。

3月 4月

この季節の、お別れだったり、新しかったりの気分は、
テレビのニュースキャスターの交代くらいでしか
感じてなかったけど。

娘が生まれて、この4月から、幼稚園。
そうすると、これから当分の間、3月、4月を経験することになる。

また、経験できるありがたさと
すでに、1年習ったリトミックの終了の3月の寂しさで、
感情移入して泣けてくるのが
いいのだけど、いいことなのかもだけど、
しんどい。

歳をとったからなのか
ニュースキャスターの交代も実は泣いている。
大して見てなかったニュースでも
キャスターが涙こらえている姿を見ると泣けてくる。

いつのことだか 思い出してごらん

などと、歌おうとすると、
泣けてくる。

娘が私のところに来てくれたおかげで、嬉しいも倍増、
怒りも倍増、悲しいも倍増、さみしいも倍増
いろんな感情が 入道雲のように、噴火のように、レーザービームのように
ズコーーーーーン
と 押し寄せてくる上に、
ここ何年かで、その感情にズブズブに浸ってしまうようになったので

たまに溺れている気がする。

まち

娘と3回目くらいの街へのお出かけ。

街だから、車も多いし、人も多い。

私は自分の心配をいろんな画像で想像してしまうから
一緒に、歩道を歩いていても
いろんな想像で、娘を縛ってしまう。

事故になったらどうしよう?怪我したらどうしよう?

しかし、娘には
歩道も公園も変わらない。植え込みの一段上がっているところに登って
歩いたり、競争ようと歩道を走ったり。

そうよね。ここが街ということも知らないし、
娘には、どこでも遊ぶところにみえている。

デパートに寄ったけど、デパートの通路で踊り始め、

ここは家じゃないから、やめてね。
と、何度か言ったけど。
聞いちゃいない。
楽しくて仕方ない。
踊りたい気分なんだから、踊っている。
あまり、踊らないでね。とも言いたくない。
だって、嬉しそうな姿は、やっぱり可愛い。

人が少ない平日だから
誰かに当たるとか、そういう迷惑はかけなかったけど。

大人の世界に、子供を連れていくと、娘に無理をさせてしまう自分と
その娘に振り回される自分に疲れるので
また、当分、街に行かないんだろうな。

反省

気がつけば、毎日反省している。

娘を世界一愛してる自信はあるけど、
娘を世界一傷つけている自信もある。

完璧な、穏やかな、1日なんてないのだろうけど
それを作り上げれないことが
疲れを誘い、
悲しさを誘う。

反省しても、気分が滅入るばっかりで、楽しくないから、
少しでも楽しい方へ目を向けたいと思うけど
娘のペースと、自分のペースが違ったり

あああああ、疲れる。

娘に疲れるのもあるけど、自分の思考に疲れているんだなと思う。

作ること

ものを作るということは、そのものを売るということにつながる。

というか、私は、作ることが好きなのであって、
作ったものをずっとそばに置いておきたいわけではない。
そんなことしてたら、ものだらけになってしまう。

だから、作ったものは出て行って欲しいし、
できれば材料費以上は戻ってきてくれると次が作れるから、ありがたい。
もちろん、材料費以上は、もっとありがたい。

しかし、私の家はものが多い。
なんとかしたいけど、出来ていない。
だから、あんまりむやみやたらにものを増やしたくないなと思っている。
なのに、自分はものを作って、人にそれを持ってもらおうとしている。 
矛盾だなあ。と思う。
だから、ちょっと持って見たいなというものではなく、
これは絶対うちに来て欲しいというものを作れたらいいなと思う。

しかし、作りたいものが多くて、作り飛ばすことも多々。
だから、娘のものを作って、作り込んで見ようと思ったのが、半年前。

まだまだ、作り込める余裕はある。よし、頑張ろう。

私の橋

おもちゃ屋さんのプラレールコーナーにかかる橋。

チビポポちゃん、登って嬉しそうにしていたが
そこを通る他の子を制するので
「そこは、あなたの橋ではないよ。みんなのだから通してね。」
と言っていると、
だんだん変な表情に。

と思って近寄ると

「おかあさんなんか 大嫌い!
もう、一緒に遊んであげない!!!
ぎゃあああああああ!!!!!!!」

と、バカバカ叩いて怒る。

落ち着いてから、理由を聞くと
「私の橋だから」
とのこと。

ああ、そうだったのね。でも、ここはおもちゃ屋さんです。
あれは、みんなのもので、あなたのものではありません。
というと、かなり不服そうだったけど
随分グイグイ押された後、諦めてくれた模様。

公衆の面前で 泣き叫ばれることに
慣れてきた自分を感じたり。
チビポポちゃん、まだ、自分のものだと思うんだな。と、思ったり。

お互い成長していると思います。

今日の名言

パパ、キレイになったら
もっと
お仕事たくさんできるね。

久しぶに、パパとお風呂に入って
背中を洗ってあげた
娘の 名言。

なんとなく

世界があるんだな。

子供を見てたら思います。
何か、違うものが見えているのか、大人が認識するより範囲が狭いだけなのか。
じっと集中している姿
なんやかんやと、泣いている姿。
なんかが広がっている。
そこにどっぷり浸かっていたり
そこと 違うと怒っていたり。

その世界に同調するには
私も集中しないといけないので
周りと話してたりすると、私の頭の中も混乱。
二つ以上のことをいっぺんにできません。

でも
はっきりは見えないし、
わからないけど
世界があるということだけは 感じる。

そして 世界があるのね、って接してると
「お、お前、わかるんだね」
という感じで、向こうも接してくれている気がする。

勘違いかもだけどね。

作る

何度も言ってるけど

作る事が大好きです。
作っているときは、何がしっくりくるか
頭を空間に(空っぽに)しながら
アンテナ立てて
感性研ぎ澄ませて
心地のよい着地点を見つけていく。

その作業は 宝探しのようで
着地点の見つけれた時の
清々しさは
大自然の中で 景色を身体に浸透させて
風が細胞を洗っていくような
そんな
なんとも言えない気持ち良さで
ひたひたなのです。

卒乳

終わってしまった。

もう納得するくらい飲ませたし
もう納得すると思っていた。
けど、最後は指を入れておっぱいから 外して娘を泣かせたから 後悔。
あれが 最後か、、、

「3歳のお誕生日までは飲むの」
ということで、頑張ってきたけど
未だに昼寝で30分から1時間以上くわえっぱなし。
外すと ギャン泣き。
あやしても ダメ。

お誕生日2か月前くらいから
体力、時間的にきつくて
私:「もう やめようよ」
娘:「3歳のお誕生日まで飲むの」
という問答繰り返し、、、、

結局 私に卒乳させたい理由の中に
世間体、人目、が入っている事を
3歳のお誕生日が過ぎてから 受け入れて

「やっぱり 葉菜に 納得してやめてほしい。だからマンマ、と、欲しがるようなら、夜は飲ませよう。でも、昼は飲ませるのをやめよう。」

と、覚悟したら

やめました。

「なぜ やめたの?」
と聞くと
「だって お誕生日きたもん」
とのこと。

後日
娘:「おっぱい 見せて」
と 言ってきたから、見せて、
くわえるのかなあ?
と、思ったけど
愛しそうに 照れ臭そうに触って
バイバイしました。

最後 泣かせてしまったけど
幾度となく
「飲んでくれてありがとう。愛してるよ。」
って 伝えたし。

飲んでいる 葉菜を ぎゅーって抱きしめたし。

私も
葉菜のように 次をむいて 生こう。